父の1周忌法要を終えて。 [+ヒトリゴト+]
ヘルパー2級取得。 [+ヒトリゴト+]

1日1日一歩ずつ。
ひろばのお庭にいたハラペコあおむしです。
2011年9月22日、ヘルパー2級資格を無事取得しました。
6月17日から始まったこの研修。
3ヶ月の間に100時間の座学と、30時間の実習を経て、無事取得出来ました。
とは言っても、この資格は出席していれば取れるもの。
今後どう生かしていくかが課題です。
そもそもヘルパーを取ろうと思った理由は4つあります。
ひとつめ。
父方の祖母の自宅介護で、看取ったこと
ふたつめ。
祖母の自宅介護の際のヘルパーさんのプロフェッショナルへの憧れ
みっつめ。
父の死のこと。
くも膜下出血で助からなかったけれど、もし一命を取り留めてたら?
よっつめ。
今後の生活のこと。
富山での生きる道のこと。
ヘルパーという職業を本格的に知るきっかけは、祖母の介護の時でした。
膵臓癌だった祖母は、88歳という高齢ということもあり、本人が手術を拒否。
膵臓癌は、発見が遅れることも多く、既に手遅れだったようですが、「癌」とは告知しませんでした。
病院での終末期医療ではなく、自宅でのケアをすることになり、介護保険を使い、ベッドや車椅子、お風呂用品を借り、ヘルパーさんに週2回来てもらう事になりました。
当時、営業職だったので、平日休みもあり、ヘルパーさんの行っていたことを身近で見ることが出来たのも大きかったです。
祖母が少しでも過ごしやすいように、ベッドのマットの交換を提案して下さったり、病状が悪化する毎に介護度を変える手続きもして下さいました。
あぁ、こういうのがプロフェッショナルということか。。
そう思ったことを今でも覚えています。
父はそんな祖母の介護を甲斐甲斐しくしていました。
日々の記録がパソコンに残っていました。
でも、祖母が亡くなる1ヶ月前にその記録も止まっています。
「日々弱っていくばーさんの記録を付けるのが辛い」
そう父が言って、記録は止まりました。
両親、そして叔父夫婦、私たち姉妹、そしてヘルパーさん、近所の掛かり付けの先生、看護婦さん。
みんなで協力しての祖母の介護でした。
昼夜関係なく、介護に休みはありませんでした。
祖母の自宅介護は、末期癌だったこともあり、3ヶ月間と、短いものだったのですが、それでも多くのものを得たように思います。
両親たちがやったように、私たち姉妹も、
「両親がもしもの時は、最期まで看よう。」
そう思っていました。
それが、祖母の7回忌が終わった直後の父の死。
介護する間もなく、逝ってしまいました。
「誰の世話にもならずにポックリ逝きたいもんだな」
それが口癖だったのですが、まさかその通りになるとは。。
くも膜下出血で、本当にポックリ。
でも、もし、もしも、一命を取り留めてたら?
助かったとしたら?
どうなっていただろう・・・。
そう考えずにはいられませんでした。
集中治療室で、たくさんの管に繋がられて、生命維持装置で生かされている?
麻痺が残って、全介護?
片麻痺で、介助が必要?
回復して、今まで通りの父に戻る?
どんな状態になっていたか、今となってはどれも夢物語でしかないのですが、想像せずにはいられませんでした。
もし、生き長らえていたら、私は父に何が出来るだろうか?
でも、どんなに考えても父はいません。
父に出来なかったことを、今後介護が必要になるかもしれない母や周りの人へしていきたい。
自己満足ですが、でもそう思いました。
だから、このタイミングで、ヘルパーの資格を取ろうと思いました。
研修で訪問介護事務所、デイサービス、特別養護老人ホームに実習に行きました。
3ヶ所行って思うことは、自宅で家族に見守られながら終末期を迎えることが出来る幸せ、ということでした。
特養の人、デイサービスの人、家に帰りたがる人が多くいました。
どの施設、サービスも必要があってあるものなのですが、本来は家族が見れれば一番なんでしょうね。
でも、そうもいかない場合が多い。
そこで登場するのが、介護保険です。
介護保険は40歳から支払い始めます。
65歳から保険の適用がありますが、特定疾患(認知症や末期癌など)の場合は、40歳からも介護保険が適用されます。
今回、施設に行って、50代の方もおられ、その方は今まで知的障害で、国から補助を貰っていたそうですが、介護保険で適用される疾患があったため、特別養護老人ホームに移って来られたとのことでした。
国としては、補助の場合、国の税金からの支出になりますが、介護保険だと、国民の保険料からの支出になります。
だから、国は特定疾患を持つ障害のある方は、介護保険に移行させているのだそうです。
ヘルパーの資格は、介護以外、障害についても学びますが、でも、介護についてが主です。
知的障害などはあまり学びません。
今後、介護の現場はこのような例にもあるように、少しずつですが、様変わりしていくように思います。
日々勉強、ということは変わりないのですが、幅広く知識を身に付けていかないといけないと思います。
認知症の方も多かったです。
「痴呆」「アルツハイマー」「呆け」という言葉から「認知症」という呼び方になって、どんなものかイマイチ分からなかったですが、実際に触れ合う中で、認知症の人は、幸せの中に住んでいるのかもしれないなぁと思いました。
認知症の方の価値観に添うことが大事なんだと思います。
それには介護する側の余裕が必要なんでしょうね。
働く多くの人に腰痛があるとのことでした。
相方、くんぺーさんが今研修を受けているフェルデンクライスで、介護関係の方も多くおられ、以前お話した時、人体力学的に腰を痛めずに行う方法があるのだと教えて貰いました。
そういう方法を上手く利用して、働く人も楽しくお仕事出来ればいいのにと思います。
今後、日本はどんどん高齢化が加速していきます。
介護保険の適用も、日々増えて、介護に関わる人は足りない現状です。
どう関わって行くか、今の生活との両立と、よくよく考えて、進んで行きたいと思います。
梅雨明け。 [+つれづれ+]
とろけそう。。
たまたま、過去の日記を読み返していたら、結構頻繁に日記を書いていた事実に愕然としてます(苦笑)
なんで書かなくなったんだろ?
と思っていたのですが、多分電車に乗る機会がなくなったからではないかと。
そんな結論になりました。
会社帰りに、どんより電車に揺られながら書いてたみたい。
ご多分に漏れず、今も電車に揺られて書いてます。
でも、電車自体乗らない日々なので、書くのは稀。
パソコンは日々触るんだけどなぁ。
さてさて、妹の出産(逆子のため帝王切開)まであと3日。
なんやかんやバタバタ過ごしてます。
「逆子だし、そのまま帝王切開でいい!」
と、言っていた割りに、実際に帝王切開が決まると、顔が引き攣ってました。
切腹はやはり怖いらしい。
生まれ方は十人十色。
夏男は頭が上が良かったのね。
臨月だけど、そんなにパンパンでもなく、元々が細いので、ちょっとゆったりした格好をしていると、妊婦に見えません。
病院で助産師さんにも、
「もう少し大きなパンツを履きましょうね」
とか言われてるし。
ゴーイングマイウェイな妹・カナちゃんです。
そんな妊婦生活もあと3日。
明後日には入院し、帝王切開に備えます。
入院の日は、父の新盆。
父が帰って来ている時に出産です。
多分、一番近くで見守ってくれていることでしょう。
あたしは父ではないので、父の代わりは出来ないけれど、あたしなりにサポートをしていきます。
おばちゃんへのカウントダウン。
夏男は一体どんな子なんだろう。
この世界はそんなに悪いところじゃないよ。
だから、安心して出ておいで。
家族が増えるのが、今から楽しみです。







