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父の1周忌法要を終えて。 [+ヒトリゴト+]

父の1周忌が無事お蔭様で終わりました。

早いもので、父が亡くなり、1年が経とうとしています。
この1年は東日本大震災、異常気象・・・、胸の痛むニュースも多く、
我が家にとっても、1人亡くなり、1人増えるという、生と死を見つめる、そんな1年になりました。

父にとって、初孫の和希がこの世に生を受けました。
さぞ、父はその腕に抱きたかっただろうと思います。
私たち家族にとって和希は、名前にあるように、平和と希望の塊です。

私はこの子が大きくなる度に、父を感じます。
死は、ただこの世から居なくなるのではなく、より私たちの身近に存在するようになるのではないかと思います。

父の死を通して、「今を生きる」ということをより感じるようになりました。

谷川俊太郎は『あい』という詩の中で、こう言っています。


 『あい』   谷川俊太郎 
 
  あい  口で言うのはかんたんだ
  愛   文字で書くのもむずかしくない
  あい  気持ちはだれでも知っている
  愛   悲しいくらい好きになること
  あい  いつでもそばにいたいこと
  愛   いつまでも生きてほしいと願うこと
  あい  それは愛ということばじゃない
  愛   それは気持ちだけでもない
  あい  はるかな過去をわすれないこと
  愛   見えない未来を信じること
  あい  くりかえしくりかえし考えること
  愛   いのちをかけて生きること


周りにいる多くの皆さんが、この1年、私や母、妹を支えて下さいました。

母は、父の居ない1年を弱音を吐きながらも、周りの皆さんの温かい励ましやお心遣いで、少しずつ歩んで来れました。
まだ、前を向いて歩くには時間が掛かるかもしれません。
でも、希望である和希も生まれ、秋の空のように、天高く晴れ渡る日が、そう遠くなく、来るように思っています。
過去を忘れず、見えない未来を信じ、くりかえしくりかえし考えながら、いのちをかけて生きていって欲しいと思っています。

父の居ない生活に慣れるには、皆さんのお力を借りることがあると思いますが、どうぞこれからも私たち家族を宜しくお願い致します。
本当にこの1年、ありがとうございました。




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ヘルパー2級取得。 [+ヒトリゴト+]

DSC01433_R.jpg

 1日1日一歩ずつ。

 ひろばのお庭にいたハラペコあおむしです。

 

 

 2011年9月22日、ヘルパー2級資格を無事取得しました。

6月17日から始まったこの研修。

3ヶ月の間に100時間の座学と、30時間の実習を経て、無事取得出来ました。

 

とは言っても、この資格は出席していれば取れるもの。

今後どう生かしていくかが課題です。

 

そもそもヘルパーを取ろうと思った理由は4つあります。

 

 ひとつめ。

  父方の祖母の自宅介護で、看取ったこと

 

 ふたつめ。

  祖母の自宅介護の際のヘルパーさんのプロフェッショナルへの憧れ

 

 みっつめ。

  父の死のこと。

  くも膜下出血で助からなかったけれど、もし一命を取り留めてたら?

 

 よっつめ。

  今後の生活のこと。

  富山での生きる道のこと。

 

 

ヘルパーという職業を本格的に知るきっかけは、祖母の介護の時でした。

膵臓癌だった祖母は、88歳という高齢ということもあり、本人が手術を拒否。

膵臓癌は、発見が遅れることも多く、既に手遅れだったようですが、「癌」とは告知しませんでした。

病院での終末期医療ではなく、自宅でのケアをすることになり、介護保険を使い、ベッドや車椅子、お風呂用品を借り、ヘルパーさんに週2回来てもらう事になりました。

当時、営業職だったので、平日休みもあり、ヘルパーさんの行っていたことを身近で見ることが出来たのも大きかったです。

祖母が少しでも過ごしやすいように、ベッドのマットの交換を提案して下さったり、病状が悪化する毎に介護度を変える手続きもして下さいました。

 

 あぁ、こういうのがプロフェッショナルということか。。

 

そう思ったことを今でも覚えています。

 

父はそんな祖母の介護を甲斐甲斐しくしていました。

日々の記録がパソコンに残っていました。

でも、祖母が亡くなる1ヶ月前にその記録も止まっています。

 

 「日々弱っていくばーさんの記録を付けるのが辛い」

 

そう父が言って、記録は止まりました。

 

両親、そして叔父夫婦、私たち姉妹、そしてヘルパーさん、近所の掛かり付けの先生、看護婦さん。

みんなで協力しての祖母の介護でした。

昼夜関係なく、介護に休みはありませんでした。

祖母の自宅介護は、末期癌だったこともあり、3ヶ月間と、短いものだったのですが、それでも多くのものを得たように思います。

 

両親たちがやったように、私たち姉妹も、

 「両親がもしもの時は、最期まで看よう。」

そう思っていました。

 

 

それが、祖母の7回忌が終わった直後の父の死。

介護する間もなく、逝ってしまいました。

 

「誰の世話にもならずにポックリ逝きたいもんだな」

 

それが口癖だったのですが、まさかその通りになるとは。。

くも膜下出血で、本当にポックリ。

 

でも、もし、もしも、一命を取り留めてたら?

          助かったとしたら?

 

どうなっていただろう・・・。

そう考えずにはいられませんでした。

 

集中治療室で、たくさんの管に繋がられて、生命維持装置で生かされている?

麻痺が残って、全介護?

片麻痺で、介助が必要?

回復して、今まで通りの父に戻る?

 

どんな状態になっていたか、今となってはどれも夢物語でしかないのですが、想像せずにはいられませんでした。

もし、生き長らえていたら、私は父に何が出来るだろうか?

でも、どんなに考えても父はいません。

 

父に出来なかったことを、今後介護が必要になるかもしれない母や周りの人へしていきたい。

自己満足ですが、でもそう思いました。

 

だから、このタイミングで、ヘルパーの資格を取ろうと思いました。

 

 

 

研修で訪問介護事務所、デイサービス、特別養護老人ホームに実習に行きました。

 

3ヶ所行って思うことは、自宅で家族に見守られながら終末期を迎えることが出来る幸せ、ということでした。

特養の人、デイサービスの人、家に帰りたがる人が多くいました。

どの施設、サービスも必要があってあるものなのですが、本来は家族が見れれば一番なんでしょうね。

でも、そうもいかない場合が多い。

そこで登場するのが、介護保険です。

 

介護保険は40歳から支払い始めます。

65歳から保険の適用がありますが、特定疾患(認知症や末期癌など)の場合は、40歳からも介護保険が適用されます。

今回、施設に行って、50代の方もおられ、その方は今まで知的障害で、国から補助を貰っていたそうですが、介護保険で適用される疾患があったため、特別養護老人ホームに移って来られたとのことでした。

国としては、補助の場合、国の税金からの支出になりますが、介護保険だと、国民の保険料からの支出になります。

だから、国は特定疾患を持つ障害のある方は、介護保険に移行させているのだそうです。

 

ヘルパーの資格は、介護以外、障害についても学びますが、でも、介護についてが主です。

知的障害などはあまり学びません。

今後、介護の現場はこのような例にもあるように、少しずつですが、様変わりしていくように思います。

日々勉強、ということは変わりないのですが、幅広く知識を身に付けていかないといけないと思います。

 

認知症の方も多かったです。

「痴呆」「アルツハイマー」「呆け」という言葉から「認知症」という呼び方になって、どんなものかイマイチ分からなかったですが、実際に触れ合う中で、認知症の人は、幸せの中に住んでいるのかもしれないなぁと思いました。

認知症の方の価値観に添うことが大事なんだと思います。

それには介護する側の余裕が必要なんでしょうね。

 

働く多くの人に腰痛があるとのことでした。

相方、くんぺーさんが今研修を受けているフェルデンクライスで、介護関係の方も多くおられ、以前お話した時、人体力学的に腰を痛めずに行う方法があるのだと教えて貰いました。

そういう方法を上手く利用して、働く人も楽しくお仕事出来ればいいのにと思います。

 

今後、日本はどんどん高齢化が加速していきます。

介護保険の適用も、日々増えて、介護に関わる人は足りない現状です。

 

どう関わって行くか、今の生活との両立と、よくよく考えて、進んで行きたいと思います。

 


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「自分の仕事」を考える3日間 最終回を終えて。 [+ヒトリゴト+]

くんぺーさんに送ったメールから抜粋して、思ったことを纏めました。
リアルタイムの感想。
とりとめなく、綴った言葉たちですが、気持ち随分と込めて書きました。

長くなりますので、読みたい人だけどうぞー。



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御報告。 [+ヒトリゴト+]

一部の方には御連絡致しましたが、
平成22年10月11日(日)午後6時15分、父 弘道がくも膜下出血により、急逝致しました。

通夜、並びに告別式にご参列頂きました皆様、本当にありがとうございました。
お手紙やメールもたくさん頂きました。
父も喜んでいることだと思います。

昨日、初七日を終え、今は父の死に伴う事務手続き等を行う毎日です。


父は、67歳という若さで旅立ちました。
亡くなった当日は、いつものように、朝、瑚幸の散歩をしていたそうです。
10月9日に、今年の4月から行っていた、四国八十八ヶ所の巡礼を全て終え、帰って来たこともあり、疲れていたのか、お昼は軽くうどんを食べ、横になりながら、駅伝を見ていたそうです。
出身校の早稲田が優勝し、喜んでいたそうです。
3時、母が夜ご飯の買い物に出掛ける際は、横になりながらも「いってらっしゃい」と声を掛けたようで、多分、その後に。。
4時頃、母が帰って来た時は、出掛ける前と同じ格好で眠っていたそうで、起こさず毛布を掛けてあげたと言っていました。
いつも、5時前に瑚幸の散歩に行くので、母が父に
 「具合悪いなら、あたしが行くわよ?」
と声を掛け、腕に触れた時には、もう冷たかったと。。

その頃、私は富山に居て、畑で母からの連絡を受けました。
妹夫婦に連絡をし、母の兄夫婦が来てくれていると聞いたので、状況を聞きました。
携帯とお財布は持っていたので、相方の運転で、急いで富山駅へ向かい、すぐにはくたかに飛び乗りました。
こんなにも長い列車の時間は初めてでした。
悪いことを考えては、首を振り、大丈夫と、自分に言い聞かせて。
生きていてくれることを切に願いながら。。


9時半過ぎには東京の家に着くことが出来ましたが、家の前で妹夫婦が立っており、
 「パパ、死んじゃったの・・・」
と妹から告げられました。
一瞬、何が起きたのか、全然分かりませんでした。

だって、四国八十八ヶ所に向かう前の、準備をする元気な父の姿が私にとって最後の姿だったから。
最近は母の方が、体調が悪く、救急車で運ばれたり、外出先で動けなくなって、迎えに行ったりしていたから、父と母のことを心配していたのに、その父がこんなにも早く、この世から居なくなるなんて、夢にも思っていませんでした。

妹夫婦も、私からの連絡の後、すぐに病院に向かったようですが、結局間に合わなかったそうです。

父は、母と母の兄夫婦に看取られて、旅立ちました。


電車に飛び乗ったお陰で、物言わぬ父が家に帰って来るのに、間に合ったのは、本当に良かったです。


父は急に旅立ちましたが、でも、やることをやり切った、来るべき時が来て、逝ったのだと思います。
父の大好きだった祖母が、6年前に亡くなり、その頃から「四国の八十八ヶ所を巡りたい」と、言ってました。
祖母が亡くなった後、祖母に代わって、夕方毎日お経をあげる様になり、そのような気持ちが出て来たのだと思います。
私が今年の1月に会社を辞め、満を持しての「四国八十八ヶ所巡り」。
4月から4回に分けて、四国と高野山を回って、それが丁度亡くなる3日前に終わって、帰って来たばかりでした。
「行きたい」と言っていた四国八十八ヶ所を全て巡り、満願した矢先。
でも、回り切れて本当に良かったと思います。
無事、家まで帰って来れて、本当に良かった。
四国で倒れなかっただけでも、よく頑張ったね、と、父に話し掛けています。

「四国八十八ヶ所巡り」は、祖母や父の行方不明の弟への気持ちから、出掛けたようです。
その時の様子は、八十八ヶ所に向かう直前に、ブログを作成し、メールで送って貰っていたのですが、そのブログは、今思えば、母へのラブレターのような言葉がたくさん綴られていました。
四国に居ても、母の体をを心配し、思って居たんだなぁと思うと、胸が熱くなりました。
このブログは、父の葬儀の前に、母にプリントアウトして、渡しました。
母にメールを送ればいいものを、ブログに母への思いを書いていた父。
照れくさかったのかなぁ。
今では、もう分かりません。

それに、この10月で祖母の7回忌、12月で父の弟の23回忌だったのですが、色んな都合で、9月27日に法事を終えていました。

そんなことを思うと、父は、人生の中でやることをやり遂げた幸せな死だったのではないかと、そう思えてなりません。



でもでも。。
「孝行をしたい時に親はない」なんて、ことわざがこんなに当てはまるなんて。

去年、妹が嫁に行ったとき、「加奈子は嫁に行くものだと思っていたから、泣かなかったが、麻貴の時は泣くだろうなぁ。」と言っていました。
泣かせるのを楽しみ(?!)にしていたのに、もうそれも出来ない。

従兄の子どもと一緒に遊びに行っては、孫の予行演習をしていた父。
孫を抱かせることも叶わなかった。


私は、心配ばかり掛ける、悪い娘だったと、涙が止まらなかったです。
 もっと親孝行出来たのではないか。
 もっとたくさん色んなことを話したかった。
 もっと色んなところに旅行に行きたかった。
 もっともっともっと。。


でも、もうそれらは叶いません。
だから、せめて、父の代わりに母に対して、孝行をしていくことが、父の供養になると信じています。



最近、学んでいる本に、「子どもは親を選んで生まれて来る」とありました。
私も妹も、父と母を選んで来たんだと思います。
選んで、生まれて来て、育ててもらって、本当に感謝しています。

私はパパっ子で、何をするにも一緒。
必ず相談していました。
だから、そういうのが、もう出来ないのが、本当に淋しい。

父の存在は、私にとって、とても大きかったのです。
それは、40年連れ添った母にとっても。。


父と母は、本当に仲の良い夫婦でした。

急に旅立った父ですが、私たち娘2人の願いは、淋しいからといって、母をすぐに連れて行かないで欲しいということです。
父の分も母に孝行して、たくさん楽しい思い出を作って、お土産話を両手いっぱい持たせるから、それまで向こうで祖父母や父の弟、他の人たちと、待っていて欲しいと思います。
それが一番の供養だと思います。
だから、安らかに眠って欲しいです。


父は、生前は「弘道」という名前でしたが、菩提寺の住職様に素敵な名前を貰いました。

 恩 ・・・ 温厚で
 徳 ・・・ 徳があって
 院
 誠 ・・・ 誠実で
 真 ・・・ 真っ直ぐな
 弘 ・・・ 弘道は
 照 ・・・ 皆を照らす
 居 ・・・ 仏になりました
 士
 
もったいないくらい、素敵な名前。
母は萬知子というのですが、「萬」が旧漢字なので、通常は「真」を使います。
そういうのも住職は知ってか、知らずか、「真」の字が入っていて、仏になっても尚、父は母と一緒で、下から支えているのだなぁと思いました。


通夜、告別式が何とか滞りなく終わり、ほっとしていますが、多分、私にとっての父との別れはこれからなのではないかと思います。
今はまだ特別。晴れのときです。
これから、日常の褻に戻ります。

今まで一番多い時で、7人で暮らしていた実家も、今は母ひとりになってしまいました。
だから、暫くは、父に代わって、私が母を支えます。

男手がないのが、こんなに不安だとは思いもしませんでした。
でも、二人で、時たま妹夫婦や、親戚の叔父叔母を交え、これからの生活をつつがなく送っていけるように頑張りたいと思います。

長い文章になりましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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備忘録。 [+ヒトリゴト+]

SBSH0463.JPG

曜日の感覚がどうもないのですが、今日は日曜日の夜中(正しくは月曜日)。
ここのところ、たくさんの人と会う機会があり、少々食傷気味ではありますが、少し、整理が付いたところもあるので、忘れぬ内に書いておこうと思います。

徒然としたヒトリゴト日記です。
今の気持ちを書いておこうと思います。
だから、多分、読んで嫌な思いをする人もいるかもしれません。
あくまでヒトリゴト。そして備忘録ですので、ゴメンナサイ。






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落ち着け。 [+ヒトリゴト+]

心がざわつく。




こういうときはClassicJazzがいい。

周りの音や声が聞こえないくらいの音量で、自分の世界に沈み込む。


胃の痛みと吐き気と、そういうのはもう嫌なんだ。
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今日という1日を無事終えることの素晴らしさ。 [+ヒトリゴト+]



今日は、高校時代の友達、よっしぃのお母様のご葬儀に参列しました。
お父様のご挨拶のときの言葉が忘れられません。

乳がんの治療後、今年4月に倒れられて、一時息もしない状態から、家に帰れるまで回復された時のことだそうです。


お母様「生まれ変わっても一緒になりたいね」

お父様「すぐ行くから、待っててくれ」

お母様「娘2人をしっかり見てから来て」


なんか涙が出てきました。
あぁ。。
よっしぃのご両親はなんて温かいのだろう。
そして、愛されているなぁ。

両親がいなくなることをあたしはまだ想像出来ずにいますが、いつかは誰しも迎えることなんだと思います。
身近でこんなにも早く・・・ととてもショックでした。

よっしぃ、しばらく心休まらないと思いますが、落ち着いた頃、また会えたらいいなと思います。


ご冥福をお祈り致します。

合掌。


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ヒトリゴト。 [+ヒトリゴト+]

090228_115555.JPG

あたしが生まれたときにおじいちゃんが植えてくれた梅がキレイに咲いていました。

あぁー、春来るんだなー。
そう感じました。
来月には、相方さん。
東京に帰ってきます。

遠距離3年3ヶ月。
長いようで短かったし、短いようで長かった。
いい経験をさせて貰ったと思っています。

忍耐も、愛するということも、気持ちを伝える大変さも。

今週末の連休+1日有休で、富山まで行ってきます。
相方が富山にお仕事でいる最後の富山遠征です。

思えば、富山はこの3年3ヶ月の間に合わせれば約1ヶ月くらいは滞在していたのでしょうか。
観光者レベルではなく、富山を見れたように思います。
でも、相方に言わせるとまだまだ。
住んでみないと分からない、と。
仰るとおりです。
いつか住む機会があるのだとしたら、それを楽しみにしていたいと思います。

今週末は、ホワイトデーも含めて、大好きな平和通り食堂のディナーのコースを頼んでくれたそう!
今から凄く楽しみですw
相方さんが帰ってきちゃうと、吉田さんの渾身のお料理を食べに行く機会が極端に減っちゃうので、それが何より残念。
しっかり味わってきます♪

木曜の夜から、月曜まで。
ゆっくり富山を楽しんできます。
とはいえ、まだノープランw
土曜の夜の平和通り食堂のディナーくらいしか決まっていませんw

接待をよろしく頼むよ、ダーリンw
マキは元気に富山に伺いますゆえ☆

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やさしいキスをして。 [+ヒトリゴト+]

ドリカムの美和ちゃんの旦那さまが急逝されたニュースを見て、朝から涙が止まらなかったマキです、おばんです。
ドリカムの歌を聴きながら、またしても涙が出そうになりました。

大切な人と過ごす時間て、掛けがえないよね。
行間を読むように、じっくり聴いて、そう思いました。
深い詩を書く、美和ちゃんは、それだけ深く自分と向き合ってきたのだろう。
自分と向き合うのは、時にとても痛いけど、傍らに大切な人がいるだけで、それは違ったものになる。
そんなちょっとした後押しで違うんだよね。


さ、今日は早く上がれたので、ちょっと勉強してもう寝ます。
自分の勉強の時間が取れると、いいね。
たくさん眠れるし、明日もさっさと上がって、自分の時間を持つぞーー!

蒲田に来て10月で2年が経ちました。
あたしの2年間、見えてきたものもあるし、見えなくなったものもある。
でも、それでも掴み取ったものもあるし、なくしてしまったものもある。
これからのあたしの人生のためにも、後悔のないように、進んで行かないと。
この2年、隙間があるようなそんな感覚が度々心をを掠めてきたけれど、払拭するように、次に進むぞ!うん。


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やさしい気持ち。 [+ヒトリゴト+]


まだやさしい気持ちには程遠い。
でも、やさしい気持ちになりたい。

こんなまっすぐな言葉を、気持ちを、
言えたらいいのに。


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やさしい気持ち

なけない女のやさしい気持ちを
あなたがたくさん知るのよ
無邪気な心で私を笑顔に導いてほしいの
ぎゅっと私を抱きしめて

そう いいかげんな男が あなたの理想だとしても
この愛が自由をこわすって?
でも勝手だってしからないで

手をつなごう 手を ずっとこうしていたいの
手をつなごう 手を ずっとこうしていたいの

なれないあたしとあなたの間にこんなにわがままでいいですか
言葉でいわなきゃ今すぐいわなきゃ
そんなのしらないわ
もうあたしをとめないで

Fu ラララ あたしと踊ろう 毎日ちゃんと
この手をムネをこがすような あなたのその存在
もうあたしをとめられない

手をつなごう 手を ずっとこうしていたいの
手をつなごう 手を ずっとこうしていたいの
おねがい ぎゅっと私を抱きしめて
もうあたしを離さないで

手をつなごう
愛でも何でもキスでもいいから色々してたいわ
もうあたしをとめないで もうあたしをとめないで

words by Chara


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